今月のJivamukti Yogaのテーマは“If I Could, I would, Let it go”できれば手放す
U2のBadという曲から引用されたものです。
今月のマントラ
バガヴァット・ギータ 第4章20節, Jivamukti yoga chant book p.18 より
tyaktvā karma-phala-āsaṇgam
nitya-tṛpto nirāśrayaḥ
karmaṇy abhipravṛtto ‘pi
naiva kiṁcit karoti saḥ
tyaktvā;[〜して、〜してから]手放す;避ける;放つ;断念する、離れる
karma(=karman);行為、業
phala;結果;報い
āsaṅgam;[〜に、〜を]行為の結果に対する執着
nitya;常に;不変に
tṛptas;をもって満足する、〜をもって充足する
nirāśrayas;[〜は、〜が]支持されない;孤独の、独立の;保護されない
karmaṇi;[〜において、〜のなかで]行為、作業;作用 結果;運命、業
abhipravṛttas;起こるに従事した・専念した
api;さらに、また、同様に;されど、なお na;〜でない
eva;実に、真に
kiṁcit; 幾分か、少し
karoti;[彼は〜、それは〜]為す、作る、遂行する、用いる
sas;[〜は、〜が]これ、あれ、彼
One who has let go of the fruits of their actions is content and free of dependency, knowing it is not they who act, even when performing actions.
どの行動も自己が行っているのでは無いと悟った者は、結果に頼る事無い行為をするので充実している。
カルマ:行動。効果。結果。
その最も基本的な形では、カルマは因果関係の普遍的な道徳法であり、すべての行動には結果があります。この考えは多くの異なる他の信仰にもあります:仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教、キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教、全てにカルマについてのテーマのバリエーションがあります。
カルマの法則によれば、魂は彼らの精神的な達成にふさわしい環境で生まれ変わります。
善良な人々(霊的な道から離れた人々でさえ;ヨガや何らかの修練をしていない人の事。)は、彼らが死ぬと、善行な人々がいる天国に行きます。
彼らはそこに何年も住み、その後生まれ変わります。今回は純粋で裕福な家に生まれます。その中には精神レベルの高い家庭の元に生まれますが、そのような生まれ変わりは得るのが難しいです。これが起こるとき、良い環境は彼らの潜在的な精神性を引き出し、彼らを解放へと急速に導きます。[i]
1686年にアイザックニュートンは3つの運動の法則を提示しましたが、この3番目はカルマに少し似ています。
すべての行動には、等しく反対の反応があります。
カルマにおいての反応は逆というよりもむしろ同じです。
ブラーダーランヤカ ウパニシャッドでは、良いことをする人は良くなり、悪いことをする人は悪くなると言われています。
クリシュナは,誤った思い込みのクモの巣に捕まっていると、より誤った思い込みにはまっていくという結論の悲惨さを忠告しています。ウパニシャッド、バガバッドギーター、パタンジャリのヨーガ・スートラのどれにも、カルマの役割と魂の輪廻の結びつきについての考察があります。
私たちが世界に存在する(そして愛着を持っている)一方で、私たちの行動はすべて影響と結果をもたらします。
現在の私たちの人生の状況は、行動の結果として宇宙によって決定されます。
親、国籍、性別、身体性、心理学を含みます。これは「Prarabdha」カルマです。
1.サンチッタ(Sanchita):過去世から集積されてきたカルマ
2.プララブダ(Prarabdha):サンチッタ・カルマのうち、現世で経験しなければならないカルマ
3.クリヤマナ(Kriyaman):今生のカルマ
4.アーガミ(Aagami):来世のカルマ これからの行動によるカルマ
Jiva(個人の魂)は、過去の行動に起因し、新に行動して、より多くのカルマを生成した後、他の存在に転生します。
それが進むにつれてカルマを解決して生成します。
この人生で生み出されるカルマは「Agami」と呼ばれています。これが輪廻のサイクルです。
このサイクルを認識したら、2つの選択肢があります。
良いカルマを作って、未来の誕生を安全なものにするのか、それともどうすればカルマの生成を停止して、結び目を解くのかその方法を学ぶべきか。
心に押し寄せるすべての欲望が放棄されると、滅ぶべきものは不滅になります。
心にある絡まった結び目が緩むと、滅ぶべきものは不滅になります。この人生の中で。BṛhadāraṇyakaUpaniṣad4.4.7 [iv]
私たちが世界に存在することを選択した場合、私たちは「良い」カルマの生成に集中することができます。
どのような行動が良いカルマを生み出すのかをどう知るのでしょうか?
ダルマ経典(紀元前600年以降に構成された)は、どのようにうまく生き、ポジティブなカルマを生み出し、ポジティブな再生をもたらすかについてのガイドラインを説明しています。
ダルマの他の例はパタンジャリでも見つけることができます。
ヤマはダルマの一形態です。その後の経典では、場所、階級、時間を超越するため、「マハ・ヴルタム」という大いなる誓いとして説明されています[v]。
したがって、私たちがヤマに従って生きるとき、良いカルマが続きます。
もしそれが簡単だったらいいのですが。バガヴァッド・ギーターでは、アルジュナは、戦いに参加することが、非暴力(アヒムサ)の普遍的な道徳法に違反するため、悪いカルマが生まれるのではないか?と道徳的問題を持ち出した。
クリシュナの答えは、自分の最も重要な義務は、あなたの個人的な道徳的責任であるスヴァダルマ(自己の義務)にあると答えています。
クリシュナはその戦争行為を支持しているように見えるかもしれませんが、そうではありません。
カルマの法則を善悪の観点から評価することはできませんが、より明晰な考えに近づけるのか、それとも遠ざけるのかを考えることはできます。
痛みを伴う地獄とはクリシュナは罰としてではなく、悪いカルマの結果であると説明しています。それは事実です。
善良で道徳的な存在でなければならないと示されていないという事は、これらの教えに深く力を与えます。ーそれは私たちがどのように行動するか自身の選択であり、確かで確実な知識を持って自分自身が蒔いたものを刈り取る必要があります。
カルマは種だけであり、私たちがどのように生きるかによって、どの種がどのように根を張って芽を出すかが決まることに注意してください。
私たちの生き方と現時点での行動は、カルマの種の結果に影響を与えます。「私のカルマがそうさせた」とは言えません。
カルマは、言い訳する為でも、個人的な責任を逃れる方法でもありません。
また、前世からのどのような行動が今の私たちの苦境を引き起こしたのかを知ることは困難です。私は前世で殺人者だったから、この世では貧しい。とは仮定できません。
むしろ、ヨギは、今起こっていることは全て過去の行動の結果であり、解決できるものが現れてるということを受け入れらなければいけません。
これが私たちの最後の収穫であることを保証する唯一の方法があります:私たちのすべての行動を宇宙に捧げるのです。これは練習を通じて行うとパタンジャリは言います。
過去のカルマによって作成された古いパターンに従うのをやめ、明晰さと無執着に心を再び集中させるように心を訓練することができます[vi]。
私たちは完全に執着から解放されて行動することを学ばなければなりません。行為に執着せず、行為の結果にも執着しないことです。
by Clare Nicholls
参考文献
[i] Chapter 6, verses 41-43. Hawley, Jack. The Bhagavad Gita: A Walkthrough for Westerners. New World Library.
[ii] Easwaran, Eknath. The Upanishads (Classic of Indian Spirituality) . Nilgiri Press.
[iii] The Bhagavad Gita.Chapter 16 vs 16-21
[iv] Easwaran, Eknath. The Upanishads (Classic of Indian Spirituality) . Nilgiri Press.
[v] II.31 jāti-deśa-kāla-samayānavacchinnāḥ sārva-bhaumā mahā-vratam jāti, class, caste, occupation; deśa, place, country of origin; kāla, time; samaya, circumstance; anavacchinnāḥ, unconditioned, unlimited by; sārva, every; bhaumāḥ, place on earth; mahā-vratam, great vow
Bryant, Edwin F. The Yoga Sutras of Patañjali: A New Edition, Translation, and Commentary . Farrar, Straus and Giroux.
[vi] III. 10 tasya praśānta-vāhitā saṁskārāt tasya, its [the mind’s]; praśānta, peaceful; vāhitā, flow; saṁskārāt, from subconscious impressions The mind’s undisturbed flow occurs due to saṁskāras.
Bryant, Edwin F.. The Yoga Sutras of Patañjali: A New Edition, Translation, and Commentary (Kindle Locations 7638-7640). Farrar, Straus and Giroux. Kindle Edition.
Jivamukti Yoga focus of the month February,2021より
今月は「できれば手放す」
今月はカルマについて触れています。
カルマ:行動。効果。結果。
私たちは今、前世からのカルマをもって生きています。
カルマとは種であり、その種に良い水を与えることも何も与えないことも私たち次第で芽の出方がかわるということです。
ですが、その水を与える行為に意味がある。ということを忘れてはいけません。
もし、うまく芽が出なかったとしてもそれに執着しない(結果に左右されない)ということが大事だということです。
例えば試験を受けるときに勉強をしますよね。
もちろん合格したいと思って勉強はしますが、いざ試験になりうまくいかずに落ちてしまっても、そこに焦点を当てるのではなく勉強したということが大事なのです。(難しいですよね・・・)
私たちは完全に執着から解放されて行動することを学ばなければなりません。行為に執着せず、行為の結果にも執着しないことです。
今月は常に今この瞬間が充実していると思える行動を心掛けてみてください。
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