今月のJivamukti Yogaのテーマは「精神的な活動」
Bhagavad Gita VI.29(6章29節)
sarva-bhūtastham ātmānaṁ / sarva-bhūtāni ca-ātmani
īkṣate yogayukta-ātmā / sarva-tra sama-darśanaḥ
ヨーガによってアートマン(※)を統制し、全てを平等に見るモノは万物の中にアートマンを見、そしてアートマンの中に万物を見る。※アートマン=個の根源(真我)
sarvabhūta; 一切の存在物、万物 stham; 立っている、存在している →sarvabhūtastham; 万物に存在して / ātmānam; [〜に、〜を]気息,霊魂,生命,自身
sarva-bhūtāni; [〜らに、〜らを]一切の存在物、万物
ca;そして / ātmani; [〜において、〜のなかで]気息,霊魂,生命,自身,本質 īkṣate;[彼は〜、それは〜]見る,眺める,〜を視る,
yogayukta; 瞑想に専心した、ヨーガを行ずる
ātma; [〜は、〜が]気息,霊魂,生命 →yogayuktātmā;[〜は、〜が]ヨーガによって自己を修練する、瞑想によって自己を統制する
sarvatra;すべての点において、すべての場合に、常に
samadarśanas [〜は、〜が]同じように見える,類似の,(一切の事物や人間を)公平無私に見る
Through the practice of yoga, the yogi sees the divine self in all beings and all times.ヨガの練習を通じて、ヨギというのは、いつでも全てに聖なる己を見るのである。
(Jivamukti Chant Book より)
世の中の全てのものを平等に見れる、そういう実践ができている人は自分と他のモノと分けない。自分も含めた全てのモノが一緒であるから全ての存在に対して平等だということ。
ヨガの考え方ですべては一つという考え方があります。私もあなたも、植物も動物もモノもすべては同じということ。つながっているということ。
相手の良さを思い、その人の幸せを望むことは、たとえ今はその人の考えや行動に同意できないとしても、それが精神的な活動の鍵なのです。 あなたの視点に賛同しない人と会話をすることになった時、自分自身の忍耐という場所から来たのだということを確信してください。ダライ・ラマはこう言います。「私は、誰であろうと会う人は古い友人として扱います」「このことが私に本当の喜びを与えてくれるのです。これが慈愛の練習です。相手が否定的であっても、本当に慈愛ある態度は変わることが無いのです。」そして、ハーバードの教授であるアーサー・C・ブルックスはこう言います。「もし相手に対する軽蔑の念を感じたら、相手に温かい心持つ練習をしよう。
(Jivamukti Yoga forcus of the month May より抜粋)
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